父の背中。
暑くも寒くもない5月の終わり、闘病生活を続けていた父が亡くなりました。
ここ2ヵ月は午前中に病室に出向き、様子を見てから出社するという毎日でした。
そのため連絡がつきにくく、たくさんの方にご迷惑をおかけしたかと思います。
お詫びとお礼を申し上げます。
父はいわゆるたたき上げのサラリーマンで、組織の中でその才能を見いだされ、評価され、能力を伸ばすチャンスに恵まれた人でした。
「日本で初めて百貨店にDCブランドを導入した人なんだよ」
「まだボーリングがめずらしかった頃に、屋上にボーリング場を設置することを企画した人なんだよ」
「うちの会社でやってる売場の計算方法は、昔お父さんから教えてもらったんだよ」
などと教えてもらって、へえそうだったの・・・とあとから知ることばかりですが、皆さんの共通認識として「アイディアに長けた人」「会社が新しいことをやる時には必ず呼ばれる人」ということだったようです。
家族はその能力の片鱗すら垣間見ることができませんでした。
家では縦のものを横にもしない、しゃべりもしない、力仕事も何もしない。
「充電状態」になっていたのです。
8時38分の快速に乗り仕事に出かけ、20時半にうちに戻り、居間に食事を運ばせ、寝転びながらテレビとラジオと新聞とトランプ(1人遊び)を同時にこなし、水割りセットを持ってこさせてウイスキーを飲む・・・
それが父の数十年続いたルーティンでした。
2階の子供部屋から「お父さんが呼んでるよ」と呼ばれ、父のもとに行くと
「背中かいて」または「チャンネル変えて」と言われ、もちろん私は逆上する。
「そこに孫の手あるやん!!」「体を起こせばチャンネル変えられるやん!!」
すると父は、何くわぬ顔で「まあええやん」と返す(これもルーティンのひとつ)。
少女にとって、脂ぎった中年の背中を爪でかくなど拷問でした。
友達に聞いても、父親に背中をかいてくれなんて言われたことのある人は誰もおらず、なぜなんだと本当に嫌で仕方ありませんでした。
結局最後まで毎日家族の誰かに背中をかいてもらう父でしたから、おしゃべりする代わりのコミュニケーション手段だったのかもしれません。
ここ数年は文句を言うことも面倒になり「背中かいて」と言われたら「はいはい」とすっかり脂気の抜けたさらっとした背中を気の済むまでかいてあげたものでした。
そんな背中を通しての会話も、亡くなるすこし前「礼ちゃん、背中ちょっとたのむわ」と言われて健康タオル(しゃりっとしたやつ)でこすってあげたのが最後になりました。
これから先、父のことを思い出すときには、脂ぎってた頃の背中と、脂のぬけたさらっとした背中と両方思い出してしまうんだろうなあ、と思います。
私もいつか天国に行った日には、また背中をかいてあげたいです。
そんなこんなで数日の忌引のあと仕事に復帰した私です。
環境は違えど、いまアイディアを形にすることを私も生業とし、鍛錬し続ける毎日。
父が持っていたという企画力のいく分かが、私の中にもあると信じて。
会うたび「礼ちゃん、仕事はうまく行ってんの?」と聞いてきた父。
きっと、天国から力添えしてくれるはずです。
コメントを残す